【表現の自由】『これはアートだ』で片付かない

考え方・思想

最近、表現の自由について

色々と言われていますね

アートといえば何をやってもいいとか

なので今一度

アートについて考えます

それでは

アートとは

アートの語源を遡ると

技、技術という意味に行き着きます

よく使われる自然的、感覚的な意味とはちがいます

Wikipediaにおける芸術は

表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。

Wikipedia

こんな感じです

おそらく、アートを芸術と訳した時に曖昧な部分が出てしまって境界線がぼやけたのかと思います

受取手がアートについて理解していないのに

これはアートだ

と言うことでさらに曖昧になっている

これはアートだという言葉で片付けるのではなく理由をしっかり説明する必要があるのかもしれないです

自分が思うアートとデザインの違いはこちらの記事でまとめています

よければどうぞ

自分はアートは

自分が感じたことを表現すること

誰かに理解してもらおうと考えるものではないと思います

そこに込めた思いを絶対に正しく汲み取ってもらわなければいけないなんてことはないでしょう

みんなもこう思うよね

なんて思いで描いたものなんて何でもないと思います

なので、作品を展示する場所や作品を知ってもらう場所自分で作るべきなのではないかと思います

表現の自由を訴える暇があれば自分で作品の展示場所を作ればいいと思います

社会風刺

風刺画っていつの時代にもありますよね

怖いなと思う作品や

確かになと思う作品

なかなか面白いですよね

あれってアートなのかなって思ったんです

  • 自分が感じたことを表現している
  • 現代社会に対する問題提起をしている
  • 見方によって意味が変わる

などを考えるとアートなのではないかと思います

風刺画は問題を解決しようという考えより、こんな問題があるという問題提起になっています

アートとデザインの記事にも書きましたが

解決しようとするのはデザインです

じゃあ、プログラミングアートは?

自分がやっているプログラミングアートははたして

本当にアートなのか

書いているのはソースコード

できた作品は1000×1000の画像

書いている時の自分は

他の何も考えずに

こう書いたらこう表示されるだろうと考えながら

今の自分がこうしたいと思うがままに

描いています

やっぱり、アートは作品であり、過程ではないのかもしれません

なので、何で描いているかどうかは関係ない

筆と絵の具で書かれたもの以外はアートではない

というわけではないでしょう

表現の場を自分で作り上げていきましょう

表現の表現をすることも大切です

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誰かを傷つけるものはアートではない

誹謗中傷は他人軸です

自分が感じたことではなく

他人に向けたマイナスの気持ちです

自分は自分軸なのがアートだと思います

特定の人物などを取り上げ、傷つけるようなものは

自分が表現したとしてもアートとはいえないでしょう

表現者と鑑賞者が相互で作用し新しい動きを生む

それが芸術

批判が必ずしも新しい動きを生むのでしょうか?

あなたはどう思いますか?

最後

何でも

これはアートだ

表現の自由だ

と言うことは簡単です

言ったらアートになるわけではないです

本当に自分の作品がアートなら

その場を自分で作らないといけないなと思いました

あなたはどう思いますか?

よければご意見お聞かせください

以上です!

それでは!

(この記事はSOUL’d OUTのIMAを聴きながら書きました)

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